埼玉県南部、特に東北線沿いの川口から大宮の間は、東京のベッドタウンとして発展し、街自体としては特色がないイメージが強いですが、蕨は歴史ある街で、今でも旧宿場町の建物が残っていたりします。埼玉で歴史の町としては小江戸川越が観光地化していますが、蕨もなかなかいい街でした。
蕨宿ウォーキング
蕨駅
ウォーキングの起点は京浜東北線の蕨駅となります。地味な駅の割には駅前広場は広々としていて蕨駅開設の記念碑などもあります。日本一小さくて日本一人口密度の高い市の入り口の駅らしい佇まいとなっています。
要害通り
最初に目指すスポットは、この地を治めた渋川公の墓のある、宝蔵院です。そこへ向かう途中に要害通りという道があります。要害とは攻防の要となる場所のことで、この地が戦略上重要な場所であったことがしのばれます。それにしても、そうであった時代は江戸時代であったはずですが、地名が今まで残っているのは不思議ですね。
市内そこここに井戸が残っています。このあたり荒川に近いので、ちょっと掘ればすぐに水脈にあたるはずです。
宝蔵院
次の目的地はこの地を治めた渋川公の墓所のある宝蔵院です。山門前に蕨城主渋川公墓所と書かれた石碑が立っています。
六地蔵が並ぶ参道を進むと立派な本堂がありました。
3月半ばだったため、紅梅が丁度見頃でした。この本堂のわきに渋川公と奥方の墓があります。渋川公は里見氏との戦いで戦死するのですが、その後奥方は榛名山の榛名湖に身投げをして、龍神になったという伝説があります。
旧中山道
このあと、旧中山道を北に向かって進みます。ところどころに古い建物があり、そのような家はたいてい蔵を持った立派なお屋敷になっています。
途中にある、歴史民俗資料館の別館もそんな歴史を感じさせる建物になっています。時間の都合で中には入りませんでしたが、中には立派な庭があるそうです。
歴史民俗資料館
蕨宿のほぼ中央、本陣跡の場所に歴史民俗資料館がありました。入館無料です。
中にはこのような蕨宿を再現したジオラマや、宿場を再現したセット、明治期に蕨に発展をもたらせた織物工房の再現セット、昭和期の蕨を写した写真パネルなど、見ごたえ十分な展示が並んでいました。
隣には本陣の入り口を再現したレプリカがあります。
旧中山道再び
再び旧中山道を北上します。和菓子屋さんや薬屋さんも歴史的建造物となっていて、街中の歴史的建造物の比率は川越ほどではありませんが、ほかの宿場町より高いように思います。宿場町らしさが今も残っています。
こちらは今でも営業している薬屋さんです。(この日は定休日だった様子)
ここは普通の民家ですが、大きな蔵を持った立派な家です。
金亀山三学院
蕨宿の北端に近いところに、三学院という大きなお寺があります。徳川家から寺領20石が与えられていた、この地域では勢力のあるお寺です。
目病み地蔵と六地蔵
お寺に入る手前に、お地蔵さんが祀られていました。もともとは中山道沿いにあったものが、こちらに移設されたものだそうです。
山門
山門はお寺の建物群の中でも古いものだそうです。
本堂と三重塔
山門を入ると、本堂と三重塔が出迎えます。周りの建物と比べると、スケールが違うので圧倒されます。建物自体は新しいようで、本堂はコンクリート造りです。
鐘楼
三重塔の傍らには鐘楼があります。透かし彫りも見事で、かなり古いもののようです。
金の亀
水舎には寺号が金亀山のためか、金の亀がいました。
庭園
本堂の裏手には茶室と庭園がありました。池の水は湧き水で満たされています。
この他にも三蔵法師のお骨が収めてある仏舎利があるなど、見どころの多いお寺でした。
和楽備神社
三学院から歩いて5分ほどのところに和楽備神社があります。元は蕨城だった場所に、明治44年に神社合祀により近隣の神社を合祀して和楽備神社として建てられたものです。ですので、末社は由緒正しい歴史のあるお社が多いです。
拝殿
拝殿は平成9年の建立だそうです。もっと真新しい感じがします。
蕨城址
和楽備神社の隣に、蕨城址の碑があります。蕨城はもともと渋川氏のお屋敷をそのまま武装して使用していたものだそうですので、櫓も天守閣もありません。堀も堀と言ってよいのかわからない幅3mぐらいの水路が取り囲んでいるだけです。現在和楽備神社の神池になっている部分が内堀の名残だそうです。
このあと、徒歩10分ほどで蕨駅に戻ります。全部で4-5kmぐらいの行程でした。
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